総合監修者からのメッセージ








圀府寺 司
(こうでら つかさ)
大阪大学文学研究科教授。大阪大学文学部卒業。1981~88年、アムステルダム大学美術史研究所留学、博士(文学)取得。博士論文によりオランダ・エラスムス財団エラスムス研究賞受賞。広島大学総合科学部助教授などを経て、2001年より現職。おもな著書にVincent van Gogh.Christianityversus Nature,Amsterdam-Philadelphia 1990.、『西洋絵画の巨匠2ゴッホ』『ファン・ゴッホ―自然と宗教の闘争』(以上、小学館)、『世界美術大全集 第23巻』(共著、小学館)、『もっと知りたいゴッホ―生涯と作品』(東京美術)、『ゴッホ―日本の夢に懸けた芸術家』(角川文庫)、『ああ、誰がシャガールを理解したでしょうか』(大阪大学出版会)、『ユダヤ人と近代美術』(光文社)。主な展覧会企画、カタログ執筆に『ゴッホ展』(北海道立近代美術館、兵庫県立近代美術館2002年)、『ゴッホ展』(東京国立近代美術館、国立国際美術館、愛知県美術館 2005年)がある。




ァン・ゴッホはパリの画商ビングの店の屋根裏部屋で大量の浮世絵と出会い、それらに魅せられ、それらを研究するとともに、「日本の夢」の中に没入していきながら南仏アルルで多くの傑作を描きあげていきました。そして「耳切り事件」の後、その夢が遠ざかる中、サン・レミ、オーヴェールでも傑作を描きつづけ、日本への関心も持ち続けていました。夢はそこで、画家の死によって断たれます。しかし、消え去ってはいなかった。数十年の時を経て、その夢にふれた日本の画家たちが今度はファン・ゴッホにふれることを夢見て、ファン・ゴッホ終焉の地オーヴェールに次々に巡礼に訪れ、芳名録に言葉や絵を残していきます。それは時空を越えて巡った夢の物語、日本の夢の生成と転生の物語と言ってよいでしょう。
本展覧会は6年にわたる準備期間をかけ、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館のスタッフたちとも綿密な打合せを重ね、世界各地のコレクションと交渉しながらつくりあげた展覧会です。日本3会場の後にファン・ゴッホ美術館でも開催され、カタログも日、英、蘭など数か国語で出版され、新しい知見や情報が数多く盛り込まれた学術的価値の高いものになります。
ファン・ゴッホ展をはじめ多くの展覧会企画を手掛けてきたコルネリア・ホンブルクさんにもゲスト・キュレーターとして加わってもらい、各地の美術館や個人コレクターのもとに何度も足を運んで困難な出展交渉をしてもらいました。今回日本で初めて見られる傑作、美術通の方々もこれまで見る機会のなかった作品、今回見逃すともう見られないかもしれない作品、さらには、初公開をふくめた貴重な資料や浮世絵作品が集まります。
ファン・ゴッホの「日本の夢」、つわものどもの見果てぬ夢の絵物語にふれ、夢のつづきを紡いでいただければ幸いです。









コルネリア・ホンブルク
(Cornelia Homburg)
インディペンデント・キュレーター。専門はファン・ゴッホおよび19~20世紀初頭のヨーロッパ美術。シカゴ大学 (1985年、修士)、アムステルダム大学(1994年、博士)で学び、ファン・ゴッホ美術館およびセントルイス・ワシントン大学で研究職についた後、セントルイス美術館学芸員、学芸副部長を経て、現在は北米およびヨーロッパの美術館や研究機関のゲスト・キュレーター、アドヴァイザーを務める。主な企画展に、『マックス・ベックマンとパリ』(セントルイス美術館、チューリッヒ美術館 1998年)、『フィンセント・ファン・ゴッホとプティ・ブールヴァールの画家たち』(セントルイス美術館、フランクフルト・シュテーデル美術館 2001年)、『フィンセント・ファン・ゴッホ:永遠の田園―近代の都市』(ローマ、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂 2010~2011年)、『ファン・ゴッホ:アップ・クロース』(オタワ・カナダ国立美術館、フィラデルフィア美術館2012年)、『新印象派と現実の夢:絵画、詩、音楽』(ワシント ンD.C.・フィリップス・コレクション 2014~2015年)がある。展覧会図録への寄稿多数、ファン・ゴッホについての著書のほか、アムステルダムのマックス・ベックマン、20世紀ドイツ芸術などについての論文がある。現在、『オディロン・ルドン:文学と音楽』展(クレラー=ミュラー美術館)、『ゴーギャンの肖像画』展(ロンドン、ナショナル・ギャラリー、カナダ国立美術館)を含む複数のプロジェクトに携わっている。




「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」は東西の研究者たちによる国際共同企画の成果です。ファン・ゴッホ美術館、クレラー=ミュラー美術館、プリンストン大学美術館、メトロポリタン美術館といった世界の名だたる美術館が所蔵する油彩とデッサン、ならびに個人コレクションに入っていてほとんど公開されることのない作品等が一堂に会する場となります。
本展覧会では、ファン・ゴッホの日本崇拝と、1887年以降の画業で重要な位置を占める日本美術への関心とが、時とともにどのように深まり、どのように彼の作品の特質となっていったのかを探ります。パリでファン・ゴッホは前衛芸術にとって日本が重要な意味をもつことに気づき、日本とその文化を夢中になって受け入れ、自分の必要に応じて取り入れるようになりました。
1888年には南仏へと旅立ち、クロード・モネ、ポール・セザンヌ、ポール・シニャックら南仏に赴いた同時代の画家たちにつづくことになりました。アルルでファン・ゴッホはめきめきと自信をつけ、日本と南仏を独自のやり方で組み合わせることで、モダン・アートに寄与する何か新たなものを得たと思うようになりました。ファン・ゴッホの中で日本は、レンブラントやドラクロワ、ミレー、ドーミエら、彼が模範としていた画家たちに連なる位置を占めるようになり、同様に、ピエール・ロティの『お菊さん』のような異国趣味的主題を扱った文学作品も、彼が愛読していたドーデからゾラまでの作家たちの作品に加わることになりました。
日本は、ファン・ゴッホの画業の最後に至るまで、彼の芸術観のなかに生きつづけました。そして、ポール・ゴーギャンとの共同生活が破局を迎え、1888年12月に最初の精神病の発作を起こした時にも、それは失われることはなかったのです。1889年以降ファン・ゴッホは再発する病のため、自信を失ったり取り戻したりをくり返しましたが、1889年から1890年の間に描かれた油彩やデッサンの多くは、彼の日本への関心を反映しつづけています。この時期の作品は、日本の美術や芸術家に対する賞賛が、いかにファン・ゴッホを新たな表現形式の探求に駆り立てていたかを明らかにしてくれています。ゴーギャンやベルナールといった友人たちとの交流もまた、日本美術への敬意を共有することで支えられていたのです。





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